※PG-10 : こちらの記事”サンタクロースの正体”は10歳未満の方には保護者等の助言・指導が必要です。
現在(2024年12月)、あちこちでクリスマスマーケットが開かれて、ここプラハでも毎日物凄い数の観光客がクリスマスマーケットを訪れています。
で、クリスマスの主役といったらサンタクロースですが…、サンタクロースとは一体何者なのか。この正体、あまり日本では知られていないような気もするので今回書いてみようかと思いました。
日本語のウィキなんかを見ると
「サンタクロースのモデルはシンタクラースである。そのシンタクラースのモデルは「ミラのニコラオス」ではないかと言われている。」
と書かれていますが、こちらチェコ語では
「サンタクロースは聖ニコラス、ファーザー クリスマス、または単にサンタとしても知られ、多くの国ですべての良い子たちに贈り物を与える伝説的な人物です。」
と書かれ、サンタは「ミラのニコラオス」つまり「聖ニコラス」と同一として扱われています。
これは一体どういう事なんでしょうか。
実際、今観光客でいっぱいのプラハのクリスマスマーケットに行ってみても、あの有名なトナカイと一緒に空を飛んでいる紅白の防寒服を着た恰幅の良いサンタさんは見かけません。とはいえ最近のここ数年は観光地ではチラチラ見かける様になってきましたが…。
ではここでそんなサンタクロースと聖ニコラスの歴史についてちょっとお話をいたしましょう。ウィキを読んで頂いてもまぁ出てきますが編集がめちゃくちゃ分かりづらいかと思うので、ウィキなどには載っていない面白い事実なども色々と足してまとめてみました。
まず、聖ニコラスというのは英語の発音でして、チェコ語の発音だと聖ミクラーシュとなります。発音が違うだけで同一人物です。なのでここからはチェコ語の聖ミクラーシュと表記していきますね。
この聖ミクラーシュという聖人はどこの誰だったのかというと、3世紀から4世紀にかけて現在のトルコの地中海沿岸の街、パタラで生まれた人で、その近くの街ミュラで主教を務めていました。
ちなみにこのトルコの地中海沿岸は地中海性気候といって夏は高温多湿で40度近くまでいき、冬も10度そこそこという、まるでサンタのイメージとは異なる地域です。
そして当時はトルコも古代ローマ帝国版図で、そのローマ帝国でキリスト教が国教となったのは392年です。ミクラーシュが生きていた頃のキリスト教はまだギリ異教です。
その聖ミクラーシュが行ったとされる事が多く言い伝えられていますが、その中でも現在のサンタクロースに繋がるものをご紹介しますね。
「借金をかかえたかつての豪商が3人の娘達を売り飛ばそうとしたところ、金貨の入った袋が煙突から投げ入れられたので娘達は身売りされずに済み、持参金まで用意できたので娘三人はお嫁に行く事ができた。」
というものですが、これには色々なバージョンがあるので、もしかしたら別バージョンを聞いた事がある人もいるかと思います。ですが大筋こんな感じです。
娘が幼い子どもであったり、煙突が窓とか靴下であったり、という感じですね。
他には「誘拐されて殺され塩漬けにされた三人の子どもたちを生き返らせた」なんて物騒なものもあります…。
さて、その後の聖ミクラーシュですが、ローマ帝国がふたつに割れて(395)、その後に西はカトリック、東は正教会となりまして(東西教会の分裂は1054)、聖ミクラーシュは現在のトルコの人なので東の正教会地域で人気が広がっていきます。
そしてヨーロッパ全土への伝播はまず10世紀中頃、キエフ大公国の大公妃聖オリガ(903~969)が敬虔なキリスト教徒となり伝え、その孫の聖大公ウラジーミル1世の時代(978~1015)にはキエフ大公国で爆発的な人気となり守護聖人ともなってしまいます(現在ロシアの守護聖人)。
その人気は西へと広がりチェコを含めたスラヴの国々に波及していき、南イタリアのバーリにミクラーシュの不朽体(ご遺体)が運ばれ、西方教会カトリックの地域となる現在のドイツやフランス、オランダ、イギリスにまで広がっていきますが、とりわけ10世紀の末(972)、東ローマ帝国帝都コンスタンティノープルからやってきて神聖ローマ帝国皇帝オットー2世に嫁いだテオファヌが聖ミクラーシュ信仰を中欧に持ち込んだ事で広まっていきます。
で、正教会地域では聖母(生神女)マリアに次ぐ程の人気となってしまいました。
なので実はサンタクロースである聖ミクラーシュの人気の発端は東の正教会のスラヴ民族なんですね。
ひとまずここまで、サンタの元となった聖ミクラーシュ信仰がまずヨーロッパで流行り始めたところまで書きました。ではここからは、どの様にしてその聖ミクラーシュが現在のサンタクロースの姿となっていったのか、という話ですが…
まず、サンタクロース(Santa Claus)というのは英単語です。なのでゲルマン民族の伝統文化の中から生まれたと言えるわけですが、これにはキリスト教以前の北欧神話まで遡らないといけません。
かつてはバイキングなどの北欧ゲルマンの間で冬至の頃に行われたお祭りで「ユール(yule)」というものがありました。このキリスト教以前のゲルマン民族の祭り「ユール」がキリスト教化後にクリスマスとも重ねられていきます。
そして北欧神話に登場してくる主神「オーディン」、このオーディンのイメージが現在のサンタのイメージの元祖となったとも言われています(カミナリ様のトールという説も)。 トナカイはオーディンの愛馬で八本足のスレイプニルです。
ですがこれは説のひとつなので確実な事は分かりませんが、ワタシ的におもしろくて気に入ったのでご紹介しておきますね。(「んなわけあるかぁい」という人もたくさんいるという事を申し上げておきます。)
と、いう事で、なぜ地中海の温暖な気候の聖人であるミクラーシュが寒いところの人になってサンタへと変化してしまったのかというと、ひとまずオーディンはどうあれ北欧ゲルマン文化と合体してしまったというところでもあります。
※このあたりの”合体”についてはキリスト教はかなりおもしろくて、ケルト神話や北欧神話、スラヴ神話、ギリシャやローマの神々などの要素が合体しまくっています。特に中世中期頃のロマネスクからゴシックにかけての時代にキリスト教の聖人、土着の神々、精霊 (聖霊ではありません) など様々な要素が合体しています。キリスト教は一神教ではありますが、目に見える形では教会の在り方などを見てもかなり多神教的な、なんだか神社仏閣的な要素のある宗教で、キリスト教の歴史は多神教から一神教への変遷で整合性を図るための試行錯誤の努力の歴史です。この辺は他の一神教と比較するとよく分かります。なので本来キリスト教というのはローマ帝国の頃からたくさんの神々や精霊の住む自然豊かな「森の国」と呼ばれ続けたヨーロッパの土地に合わずにかなりの無茶をやってきているて事ですね。そんなわけで今現在でもヨーロッパ各地にキリスト教以前の多神教文化も伝承や伝統行事の端々に残っていたりもします。(というかイスラム世界でも啓示宗教ではない多神教文化からの民間信仰は残っているところはありエジプトなどでも都市から離れた地方に行くと伝承があり祈祷師など存在します。)
あ…、ひとつ忘れていました。
なんで聖ミクラーシュが「”クリスマスの”サンタ」になったかという事ですね。これ一番重要かもしれません。
まず、聖ミクラーシュの日というのがあるんですけど、これが12月6日です。
聖人の日というのは命日の事でもあるので、聖ミクラーシュが亡くなった日が12月6日なんですね。
で、これがなんでクリスマス12月25日になってしまったかというと、元々は12月6日の前日12月5日に子どもたちにプレゼントをあげる習慣があったのですが(昔から聖ミクラーシュは子ども達の聖人です)、マルチン・ルターの宗教改革の時代にルターが聖ミクラーシュの日の12月6日のイブである12月5日から、クリスマスイブである12月24日に子どもたちにプレゼントを贈る習慣へと変えてしまい、それを広めました。ややこしいすね。
で、この理由には子どもたちの興味を聖人からキリストへと向けるためでもあったようです。ここにルター宗教改革の内容も含まれています。そしてしばらく経った後、聖ミクラーシュはクリスマスイブの日に子どもたちへとプレゼントを運ぶ聖人となり、結果、人気が出てきたんですね。
この宗教改革時に聖ミクラーシュの扱いについてアレコレと試行錯誤はありまして、その辺書き始めると脱線するんで割愛いたしますが…ちょっとだけ書きますと、当初ルターは聖人崇敬を排除するため、クリスマスにまだ生まれたばかりの赤ん坊の頃のイエスにプレゼントを運ばせていまして、そのかたわらに悪い子を鞭打ってしつけるための恐ろしい鬼の形相をした聖ミクラーシュが一緒にいました。聖ミクラーシュを恐ろしい鬼にしてしまい子ども達から引き離す作戦です。この恐ろしい聖ミクラーシュが後に鬼のクランプスともなりますが、それはまた後でご説明いたします。
さぁ、果たして子ども達の興味はルターの思惑通りにキリストへとちゃんと移ったのでしょうか。たぶん移ってない。(赤ん坊のイエスにヨーロッパ中の子ども達のためのプレゼントを運ばせる事にかなり無理があったようですが…、「いやさぁルターさん、赤ん坊にさぁウン百万人分のプレゼントを運ばせるってぇーのはあんた人としてさぁどぉーかと思うよぉー?」「そーかねぇ、そーかぁ、そ-だなぁ」的ななんかその辺を大真面目に考えていたかと思うとおもろい。)
※元々クリスマスの12月25日というのは4世紀に教会で定められていました。これは冬至の時期である12月25日がローマ帝国の時代に太陽神(Sol Invictus)の祭りであったところから、降誕を祝う日としても定着したからと言われています。北欧ゲルマン文化でも冬至には「ユール(yule)」があり、スラヴ文化では「クラチュン(Kračun)」もしくは「コレダ(Koleda)」etc.、当然日本でも冬至には行事や習慣があります。みなさんは冬至の七種食べてますか? 大昔から世界中で冬至というのは太陽が新しく生まれ変わる大切な時期なので必ずどこにでもお祭りはあるもんなんですね。
ですが12月25日をクリスマスとはしない地域もあります。それは今でも1月7日をクリスマスとしている地域でユリウス暦を採用している地域ですが、これらは現在正教会での一部地域となっています。
そして1月6日は三賢者の祝日(公現祭)でもあります。これはイエス・キリストの洗礼の日でありイエスの誕生を祝う日ともなっています。
チェコにいらっしゃった時もしかしたら家の玄関の扉に「K+M+B+」というサインをみかける事があるかもしれませんが、これは「K(カスパール)」「M(メルキオール)」「B(バルタザール)」という東方からの三賢者の頭文字です。これは「Christus mansionem benedicat(キリストがこの家を祝福する)」という意味にもなります。
そんなわけでプラハの旧市街広場のクリスマスマーケットでは公現祭やユリウス暦にも合わせて1月6日までマーケットが開かれています。
キリスト教といっても地域によって祝祭日や行事というのは様々なんですね。
そしてついに、現在のサンタクロースの誕生についてですが、この名称はオランダの「シント・ニコラース(シンタクラース)」が由来となっています。これが後にアメリカに渡りアメリカ英語でサンタクロースという発音になったわけですが、それまでに北欧神話のオーディン的なイメージから様々にヨーロッパ各地(主にゲルマン地域)で変化していき、十九世紀初頭にアメリカにて現在のサンタのイメージを作り上げた人物については諸説ありまして、ひとまず一番有名どころの人だと「クレメント・クラーク・ムーア」じゃないかと思います。
彼は詩人でもあったのですが、その彼の詩の中で “A Visit from St. Nicholas” というものがあるんです。これが現在のサンタのイメージの発祥とも言われています。
そして!そのムーアのサンタのイメージが絵本などにもなり、その後現在の最終形態にまで練り上げて世界的に広めたのはコカ・コーラです。これは結構有名な話なので知っている人はいるかもしれませんね。
現在のサンタクロースは約千七百年前から始まり、様々な変化を経て最後コカ・コーラ社によって完成された世界一の人気といっても過言ではない子ども達のための聖人なんです。
コカ・コーラ、サンタ物語
https://www.coca-cola.com/jp/ja/media-center/christmas-santa
というわけで、現在世界的に知られているサンタは北欧ゲルマン神話の文化から始まりアメリカのコカ・コーラが広めたものなので、実はチェコなどのスラヴ地域では定着しておりませんでした。(チェコでは、というよりヨーロッパでは、と言ってしまっても良いかと思いますが…。)
※現在進行形の実在するフィンランド(ラップランド)サンタについてはここでは書きませんが、それについては検索すると物凄くたくさんの情報がありますのでご覧になってみてください。
ひとまずは今でもチェコでは「サンタクロース(英語)」といったら「聖ミクラーシュ(チェコ語)」その人そのものであるので、クリスマスにコカ・コーラのサンタクロースが現れるのではなく、聖ミクラーシュの命日である12月6日の前日、イブである12月5日に聖ミクラーシュが街じゅうに現れます。これが最初に出てきたウィキの答えとなります。
そしてチェコではドイツからの文化が入り込んだ「クランプス(チェコ語だとチェルトČert)」という鬼も一緒に登場してくるようになりました。これはルターの宗教改革の頃かららしいですが、 (前に書きましたその鬼の形相のめっちゃ怖い聖ミクラーシュが様々な多神教時代の鬼の要素、そしてキリスト教の悪魔と混ざりハイブリッドとなったのが元で、後に分離。”ダークサイド(裏)・サンタクロース”とも呼ばれています。なので裏サンタ”鬼のミクラーシュ”のイメージとなったクランプスもチェルトも元の出どころはゲルマンやスラヴの多神教時代の鬼で、現在はもう既に聖ミクラーシュ要素は皆無でただの鬼と化しました、というか元々のただの鬼へと戻りました。つまりルターの思惑は失敗したという事です。なんかややこしいすね…) 今では秋田のナマハゲのような存在です。で、鬼だけではなく後々一緒に天使もやってきて良い子には天使やミクラーシュからお菓子、悪い子には鬼からジャガイモなんかが渡されるらしい。ジャガイモてーのは見たことないんだけど…ジャガイモ渡された子どもが気の毒過ぎる。まぁみんなお菓子をもらえます。今ではチェルトはただの聖ミクラーシュの引き立て役みたいなもんで、スピンオフとなってあちこちで独自の進化を遂げ、現在も様々な分野でネタにされて、ある種パーティーアイテムともなってます。
なので、聖ミクラーシュが分離し、表サンタ(本来の聖ミクラーシュ)がアメならば、クランプスとなった裏サンタ(ルター宗教改革時の聖ミクラーシュ)はムチですね。
※ちなみにチェコでのクリスマスは家族が集まってプレゼント交換をするので子どもに限らず家族全員がプレゼントをもらいます。クリスマスは皆が帰省し家族が集まる日です。カップルがデートをしたり一発逆転を狙う勝負の日ではありません。たぶんチェコに限らず他でもそうかと思いますけど…。日本では独自の進化を遂げておりますが、これもまた日本らしいあらゆる文化の複合で良いと思いますよ。
と、そんなわけで、日本ではコカ・コーラサンタしか現れておりませんが、機会がありましたら12月5日にチェコに来て頂きますと本物のサンタ↑(?)に会えますよ!
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